【哲学の道】哲学とは??

哲学

そもそも『 哲学 』っていうけどなんだろう。。。言葉は知ってるけど説明しろって言われると。。。
矢沢の哲学なら知っているぜ!という方と様々かと思います。
この記事ではそんな『哲学』についてほんの少しだけ考えてみましょう。

哲学のイメージ

「あ、わたくし哲学を専攻しておりました」

なんてマジメな顔して言われると、なんだか頭がよさそ~、とか賢そう~なんて印象を持ちませんか?

「哲学者の名言集」なんて本を読んだならチョットだけデキルひとになった気になったり(笑)

しかしその一方で、日常では何の役にも立たない、とかお金になるの?とかあやしい~、とか感じることもあるかと思います。

「哲学」と一言でいっても、「おれの人生哲学はさぁ~・・・」的なものとか、
「宇宙の真理を知りたくないですか」的なものなどそのイメージは様々です。

しかし、歴史に名を残しているような哲学者が、「私は真理を理解した」というようなすべてを知ったかのような言動をしていることはほとんどありません。むしろ、哲学の歴史は、真理はそもそも存在しないということを証明する過程であると言ってもよいかもしれません。

哲学はこれまで、普遍的な認識は可能か、より良い社会とは何なのか、恋愛の意味とは、幸せな生とは何か、というような今まさに生きている私たちが考えることのある悩みについて深く理解・納得ができるような解を探求してきました。

哲学とは??

一言で表わすなら、少し難しい言い方をすると

「概念」によって共通了解を生み出していく作業

です。

哲学ではこのことを「共通了解の言語ゲーム」と呼んでいます。
(共通了解とは、お互いにその解に対して共通した納得をしている状態のこと)

例えば、ソクラテスを師に持つ古代ギリシア哲学のビッグネーム”プラトン”は著書「饗宴」の中で恋愛についてこのように言っています。

”恋とは、善きものが永遠に自分のものであることを目ざすもの”

ここでいう善きものというのは、ロマン的なよさのこと。
つまり、
”相手のふとした仕草にキュンとしたり、自分に見せる笑顔や声だったり、恋する相手のそういった色々なものをずっと独り占めしていたいと思う気持ち”
といった意味合いです。

恋というものを概念として抽出し言語化した結果、プラトンはこういった解を出していますが、どうでしょうか?
自分たちの恋愛経験を振り返ってみても思い当たることがあるのではないしょうか?

時代を経ても、国が異なっても、
「うん!確かに!」「わかるわかる!」
と共通の納得を得ることのできる解を探すゲームが哲学なのです。

ポイントは、互いに1から問題や悩みを考え直すことで共通了解を新しく創出する作業であるということです。

”ゲーム”と呼ぶのは、この作業・営みにより必ずしも答えが出るとは限らないからです。

ゴールを目指して進むからこそゲームと言われる所以なのでしょう。

哲学とは、もしあなたが困難に突き当たったときにこその真価を発揮するツールだといえます。困難な状況においてどれだけ深い納得を生むような解を示せるか、そうした思考を日々鍛えているかどうかが大切なのです。

ある問題について、深い感受性と鋭い洞察力でその問題の隅々を慎重にとらえ、共有できる形にまとめ、誰もが納得できる解を与える営み

その営みを様々な哲学者が行い、引き継がれてきた学問

それが『哲学』です。

まとめ

  • 『哲学』は真理ではない
  • 『哲学』は誰もが持つ日々の問題について誰もが納得できる答えを探求する学問
  • 『哲学』は概念に対する解なので、どの時代においても当てはまり、その時代ごとにアップデートしていかなければならない
  • 『哲学』は、考え始めると眠れない(笑)

コメント

タイトルとURLをコピーしました